先日、認知症と内臓疾患を患い入院している祖母のお見舞いにいった。親戚の叔母さん(祖母の娘)やその他の親戚が声を揃えて

『おばあちゃんは寝たきりで自分でご飯も食べれないし見舞いに行っても誰が来たかもわからないからあまり意味がない』的なニュアンスで話していたので、覚悟をしながら病室へ。



寝たきりでも心は生きていることと体は動いても心が死んでいること


ベットに横たわり無気力のまま目を開けていた。あ起きてるんだと思い

おばあちゃん、○○の娘の○○だよ。なかなか来れなくてゴメンね心配書けてゴメンね、元気にしているからね。ありがとうね。

と声をかけた。

もちろん目は動かない。でも手が少し動いた。ことばが理解できず、ただの反射神経なのかもと思われるかもだけど私は反応があったと捉えている。

もう一度同じ言葉で声をかけて手を握ってみた。

すると目は動かないけど口元が動いた。

聞こえてるんだなっと思った。

おばああちゃん、聞こえてるんだね、良かった。おばあちゃん、いいよ話せなくても。今おばあちゃんの気持ちが伝わったよ。聞こえて伝わっただけで嬉しいな。おばあちゃん、気持ちが声に出せなくて辛いかもしれないけど、心があるのがわかったよ。

と伝えたら目は動かないけど手が少し動いた。

そうか、きっと目が動かせないんだな…。目が動いていないと聞いていないとか無反応とか思うし、確かに認知症的な部分もあると思う。だから全てにおいて反応したり理解することはないんだと思う。

でも確かに、寝たきりで体の筋肉、顔の筋肉が動かせなくても意志はあるということは感じた。

周りの親戚がおばああちゃんはもうボケていてわけがわかっていないとか、私のことがもうわからないからと諦める感じで話す様子を聞いてたから自分もそう思い込んでいたけど

時折記憶ができる瞬間がやってきて、それを表情や言葉で表せないことを見逃してしまっているのかもと、思った。もちろん、専門家ではないから妄想かもしれない。

でも、確かに心が生きている時に、おばあちゃんはもうなんにもわからないから、という親戚の言葉を聞いても聞こえているよ、わかっているよと言えない祖母は歯がゆいだろう。目も動かせないから表現ができない…。

体が動いても心が死んでしまう人もいる。

体が動かなくても心は生きている人もいる。

もし母が今よりもっとひどくなり、身体が悪くなり寝たきりになったとして、認知症で家族がわからなくなったりして、言葉に反応できなくなったとしても、きっと見えているし伝わっている瞬間もあると思うから最後まで心で対話をしようと気づかせてくれるお見舞い時間だった。

いや、本当にわかってないのかもしれないけどね。

いいことも悲しいこともそこから未来に活かせる学びを得ることができる。




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