私の父親はうつ病になり、入院して薬物治療をして悪化し、自殺したんだけど、反抗期だった私はうつ病の父親が死んだ開放感のほうが勝っていた。そのときにどのように死んで遺書があったのか、遺言があったのか、そういうことを全く聞いていない。

学生だったので葬式のときに学校も休まないといけないし確かお通夜に担任の先生が来て葬式にはクラスメイトが数人来ていた。その時、暗い思いや心配をさせたくなかったので笑顔で手を降る私、こんな時に変な空気の読み方をしてたんだなあ。

色々、聞かれたくなかったからかもしれない。



自殺した父の死因を近所の人に聞かれて困ったこと


働き盛りのサラリーマンの父は毎晩帰宅も遅く近所付き合いもないので入院している事自体を知らなかったし、うちの家族も誰にも言ってなかった。当時うつ病という言葉は世の中に反映していないことと理解されていないこと、

確かうつ病、自律神経失調症と精神分裂病だとか言ってた気がするんだけど、父の御見舞にもいったこと無いし、直接話していないので知らない。子供なので理解も出来ないと思ったのか、母親も父親も他言してほしくないのか本当のことは知らされなかった。

で、実際に自殺して葬式のときに、母は周りの人にも自殺と言っていない、私も直接聞いていないけど感じ取っただけ。近所の人には脳卒中だとか説明していたんだと思うけども

母がなんと言ってるかわからないので、近所の人になんでお父さん亡くなったの?どんな病気だったの?と言われると 知らない としか応えられなかった。とにかく父親が自殺したことはタブーで、でも、なんとなくの噂で回っているので腫れ物に触るようでよそよそしい感じが嫌だった。

だから私は明るく振る舞うこと、腫れ物にならぬよう、いろんなことに蓋をして前を向くことにした。どっちにしても、うつ病の母と食べていくことお考えないといけなかったしね。すでに摂食障害は発症していたのでバイト掛け持ち、何のお金も自分で稼いでいこう、母を食べさせていかねば!っと。

母親のうつ病からの夜中の発作や自殺未遂、過呼吸、超ネガティブ、罵倒、号泣とも戦いながら本当に寝不足の日々だった。それでも過食嘔吐がやめられず、家では母の看病で未来も見えず、バイトしている時間や学校の時間は幸せだった。

アダルトチルドレンの兆候

父親が自殺したことにより、気を遣うことが一つ減り生き延びれたように思うから実は感謝しているけど、救える方法がなかったのか??私のせいではないか?などと感が会えることが今でもずっとあり、解決しない問題でずっと気に病んで、人に尽くすことで何かの償いをしている。

その尽くし方(尽くす人)が間違えていて借金したり、自分の仕事を失ったり、自分の時間が奪われたり、自分の精神を吸い取られたり、辛いと言えなかったり、自分が悪い、自分さえ我慢すれば、など本当に不器用に無駄な暮らしをしていたと思う。これがアダルトチルドレンだとわかったのが20年経過してからだった。

でも気がついてなくてよかったこともある。それは自己肯定感の低さゆえにがんばれたから。がむしゃらに働いてなんとか人のために頑張ろう、役に立とうっということで身を粉にして働けたことは自分の知識という財産になったのだから。もちろん摂食障害での損失額や損失時間は大きいけど、学生の頃から父親のせいだとか母親のせいだなんて言って働くことを放棄していたら自立できなかったと思う。

気を遣いすぎて空気を読みすぎてどこの職場に行ってもセクハラ(社長などから愛人要請など…)を受けたり、自分だけ仕事を抱えたり、人間関係で悩んだり、向上心も含め転職も10回以上、ストーカーにも何回もあい待ち伏せがいやで自宅に帰れなくなったり場所が変われば摂食障害も治るかもって引っ越しも15回以上しているけどね。これも病気の一つなんだろうね。

学生時代も先生に迫られたり、会社でもセクハラとかストーカー被害にあうたびに母親は『どうせあんたが悪いんでしょ?』と言ってたから自分でも自分に原因があると思って一度も訴えたことはないし、18歳で母と離れたのでいちいちリアルタイムに相談せず、事後報告でしていた。母も自分のうつ病でいっぱいいっぱいで人の悩みを聞くゆとりがなかったからね。




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