思春期の頃の母との会話。うつ病を患い自分のことで精一杯の母を気遣い、弁当も自作で中学に通う日々。洗濯は機械がしてくれるので洗濯は母がしていた。

ある日、選択ができてない日があり…



うつ病の母との会話は何を言っても死ねばいいんでしょ?に


学校でどうしても必要だった体操着。

それが選択されていないので母に選択ができていないことを指摘してしまった。『指摘しまった』というのは今だから言えるけど当時はうつ病の理解もないのでただ家事をサボって寝ているだけの人だと思っていたので

責めるような言い方だったと思う。

『体操着が洗濯できてなかったけど…』

『おかあさんはしんどいの!!!』

『しんどかったら自分でするから言ってくれたら良かったのに』

わかった、お母さんが死ねばいいんでしょ?』

え?なんでそういう答えに繋がるんだろう…

洗濯ができないから自分でしてね

だけで済んだことだと思うけども

きっと鬱で寝込んでいる自分も苦しく娘に家事をさせていることに罪悪感とか自分の存在感のなさとか色んな思いが希死念慮を招いていたんだと思う。

でも死ぬ勇気もないから、娘に死ねと言われたことにしようと話をすり替えたんだろうか?それとも被害妄想で本当に死ねと言ってる溶けとったんだろうか…

とわからない感情で随分思い悩んだ。

別の話。

『参観日があるけど』

『行きたくない』

『わかった。無理してこなくていいから』

『死ねってことでしょ?』

ええ、、、、、、???なぜに…。

子供にはこの捉えられ方は酷だった。。。

本当にこういうこがよくある。

なので言葉を読んで読んでヨンエ考えて考えて発しないととんでもないことに繋がる。だからおとなになっても人の言葉をまっすぐに受け取らずに、奥深き理由を読むようになった。

その御蔭でセクハラされても『この人も心が疲れているんだな』と我慢したり

無理なお願い事をされても『私が断るとこの人がしんどいんだな』などと請け負ったり

そういう深読みの性格になった。

※私が接したうつ病の人たちの話であり、すべての人に当てはまるわけではありませんしディスるつもりもありません。鬱病の人と接する方が接し方が難しく思い悩んでいる人があるあるっと思っていただければと思います。
⇒ 私が接したうつ病の人たち




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