私は父が自殺しているがゆえに絶対に自殺しないと決めていた。母と心中を思想になった17歳以降、何があっても生きようと思ったものの、父がうつ病を発症したであろう年齢に近づくにつれ

原因がわからない死にたい願望、いわゆる希死念慮に襲われるようになって危機を感じる。



『死にたい』が『眠たい』と同じ感じで口から出る


この危機を感じるのは父親の死の教えで感謝している。

もし父が身をもって行動していなかったら自分が同じ状況になっても予防とか注意することができなかっただろう。おかげさまで自分の心の危機を捉えることができる。

しかし…

最近、スーパーで買い物をして自宅に向かって歩く際に、マスクの下で声を出して

『あー死にたい』

と独り言をいうことがある。

『あー眠たい』

のように自然にだ。

『あー死にたい死にたい死にたい』

とか口から出てしまう。こんな自分が本当に嫌だ。もちろん人に言うのではなく、1人で歩きながら…まるで『お腹が空いた』などという自然現象のように、死にたいってでる。なぜだろう…

ただ人生いつ死ぬかわからないからいつでも死ぬ準備は子供の頃からしているけど、それは希死念慮でも自殺願望でもないと思っていて、嫌なら死ねばいいと思うことで逃げ道の確保ができている分、真剣にかつ楽に生きれるからだ。でも、最近はどうも違う。

希死念慮と自殺願望は少し違う

ネットで調べると。うつ病などの精神的な疾病や人間関係や金銭問題、行き詰まりなど解決しにくい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」といい、具体的な理由はないけども漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがあるとあり、

私の場合は希死念慮。

その感情の浮き沈みは激しく、母のために頑張って生きよう、もっと豊かにしたいと思いながら、母がいなくなれば自分も人生終わることができるのにとも真剣に考える時がよくある。母が生きている限り悲しい思いをさせたくないから自死は選ばないが死にたいなあって思うことが増えてきた。

今の私の年齢のときの母はすでにうつ病で自殺願望・希死念慮の日々で、毎日学校から帰ると生きているかどうか確認をすることに怯えていた。そんな母が嫌だったのに、鬱はうつるとでも言うのか自分も同じ思考になっていることが許せないし認めたくない。

でも、びっくりするくらい当たり前のように頭の中に死にたいが浮かぶ。客観視して簡単にそういうことを口走って死ぬ死ぬ詐欺だなって思うけどかまってちゃんのように他人に言って助けを求めるとかではなく、立ち上がるときに『どっこいしょ』っというように『死にたい』と出るのだ。

こういった感情があることを知り、自分の経験の引き出しにしまおうと思う。そうすると同じ感情に陥る人の気持ちもわかるようになると思うから。希死念慮と自殺願望の違い、ふわっとだけど体感中。

死にたいといっても自分で死ぬつもりはないので、これから時を経て人にアドバイスができればと思い、感情を記録に残す。

後に気づいたこと
⇒ うつ病で父が自殺した気持ちが少しわかってきた。捨てたんじゃないかも




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